近年、日本企業によるクロスボーダーM&A(国際的な企業合併・買収)は増加傾向があります。
国内市場の成熟化と人口減少を背景に、多くの日系企業が成長戦略として海外企業の買収に乗り出しています。
しかし、クロスボーダーM&Aには、言語や文化の壁、法制度や商習慣の違い、本社と現地の期待値のずれ、限られた駐在員での対応など、さまざまな課題が内在します。
特に、買収後の統合を現場で担う駐在員の役割は極めて重要であるにもかかわらず、その実態は理論と大きく乖離していることが少なくありません。
本稿では、実際のクロスボーダーM&A案件から得られた教訓をもとに、PMIにおける駐在員の実像と課題、そして効果的な対応策について考察します。
筆者の過去の経験に基づく「現場の真実」から、より実践的な知見を提供することを目指します。
【事例】「1人駐在員」の苦悩と教訓
クロスボーダーM&Aの多くの案件では、コスト削減や現地自主性尊重の名目で、日本本社から派遣される駐在員は最小限に抑えられることが一般的です。
極端な場合、「1人駐在員」という状況も少なくありません。
1人駐在員に集中する過大な業務負担の実態
ある日系製造業によるヨーロッパ企業買収の事例では、買収後、日本本社からマネジャーとして1名のみが派遣されました。
現地マネジメントではなく、マネジャーとしての役割であるため、実務に携わることが狙いとなります。
この1人の駐在員が想像を超える業務負担を強いられることになりました。
バックオフィス機能をすべてカバーする限界
駐在員の方の業務範囲広範でした。
経理財務、人事労務、法務コンプライアンス、生産管理など、あらゆるバックオフィス機能の監督を任されただけでなく、戦略立案や重要な取引先との関係維持まで、まさに「何でも屋」の状態に陥りました。
もともと経理財務バックグラウンドであるため、経理財務への適応はスムーズであるものの、それ以外の範囲は、悪戦苦闘されながら、日々、邁進しておられました。
1人で多岐にわたる専門領域をカバーすることは、どんなに有能な人材でも限界があります。
特に、買収先企業の言語や文化に不慣れな状況では、なおさらです。
結果として、どの業務も中途半端になり、重要な問題の発見や対応が遅れるリスクを抱えることになります。
本社と現地の板挟みになる駐在員の葛藤
「1人駐在員」のもう一つの深刻な問題は、本社と現地の間に立つ「板挟み」の状況です。
本社からは「現地の状況をしっかり管理・報告せよ」という期待がある一方、現地スタッフからは「日本本社のやり方を強制しないでほしい」という要望があります。
前述の事例では、駐在員は日本本社との窓口をすべて一人で担っていました。
本社からの要求(追加報告、詳細説明、急な方針変更など)をすべて現地チームに伝え、調整する役割を果たしていたのです。
以下のようなお悩みは、本件に限らずよく聞きます。
- 日本の経営陣が求める詳細な週次報告を現地チームに依頼すると、『これまでそんな報告はしていなかった。通常業務に支障が出る』と不満が出る。
- 日本側には『買収したのだから詳細を把握するのは当然』という認識。その間で常に調整に苦労。
- 現地の文化、例えば、給与水準や業務委託の利用などにおいて、日本円でみたときの報酬水準があまりに高い。本社から削減を求められるが、現地ローカル水準では、一般的、もしくは安いくらいの金額。ただ、本社は駐在員の話を疑ってかかる。
- 現地駐在員は日中は、ローカルメンバーとのMTG、夜は日本とのMTGなどの、ダブルワーク状態。
現場の声:マイクロマネジメントへの懸念
現地チームが特に懸念するのは、日本本社による「マイクロマネジメント」です。
買収前は高い自主性を持って経営されていた企業が、買収後に日本本社からの細かい指示や承認プロセスに縛られることへの抵抗感は非常に強いものがあります。
1人の駐在員では、このような本社と現地の認識ギャップを埋めることは極めて困難です。
適切な権限委譲と明確な役割分担、そして本社との効果的なコミュニケーション体制の構築が不可欠です。
何よりも、駐在員の声を聞かず、本社からの主張、ばかりをしても、両者の溝は深まるといえます。
【事例】予算管理の成功例と失敗例
予算管理の成功例として、ある日系電機メーカーによる欧州の製造販売会社買収の事例が挙げられます。
一方、予算管理の失敗例として、ある日系メーカーによる欧州製造業買収の事例があります。
成功事例:週次MTGによる緊密な連携体制の構築
この案件では、週次での日本社長と現地ローカル経営陣とのオンラインミーティングを定例化し、緊密なコミュニケーション体制を構築しました。
特に買収後100日間は徹底してこれを行います。
特筆すべきは、このミーティングが単なる報告の場ではなく、課題解決の場として機能したことです。
現地経営陣が直面する問題について、日本側が具体的な支援を提供するケースも多く、双方向のコミュニケーションが実現していました。
よく聞く課題として、日本親会社とローカルマネジメントの双方向コミュニケーション不全、があります。
買収後、日本親会社は、ローカルマネジメントからの積極的な中長期ビジョンの提示、当該ビジョンを日本親会社は追認、という体制を期待します。
一方で、現地ローカルマネジメントは、日本本社によるグランドデザインや、具体的な協力体制の提示を受け、それをもとに、現地ローカルとしての事業計画の提示、ということを描いているケースがあります。
結果として、両者の期待値が一致しない、ということが起きています。
つまり、日本本社は「現地は何も出してこず、日々のオペレーションをやっているだけ」、ローカルマネジメントは「日本本社のビジョンが見えない」ということとなり、溝ができてきます。
その間に、駐在員が立たされ、四苦八苦される、ということとなります。
この点、上述の成功事例の良さは、トップ同士が、直接意見をぶつけ合い、お互いが考えていることを理解・尊重していることが、成功のキーだったと分析されます。
成功事例:予算コミットメントと報酬制度の効果
この成功事例のもう一つの特徴は、明確な予算コミットメントと連動した報酬制度の整備です。
年初に設定した予算達成に対して、現地経営陣に十分なインセンティブを用意し、責任と権限を明確にしました。
重要なのは、この仕組みが一方的に押し付けられたものではなく、現地経営陣との対話を通じて構築されたことです。
駐在員は日本社長と現地ローカル経営陣の円滑なコミュニケーションの橋渡しに注力し、双方の理解を深める役割を果たしました。
結果として、現地経営陣のコミットメントが高まり、経営は安定化。
当初の投資回収計画を上回る業績を達成することに成功しています。
失敗事例:欧州製造業における大幅な計画乖離
この案件では、買収時に描いていた計画から1年で大幅な乖離が生じ、状況は急速に悪化しました。
計画との乖離が明らかになるにつれ、日本本社からは「何が起こっているのか」という詳細な説明が求められるようになりました。
当初は月次だった報告が隔週、さらには週次へと頻度が上がり、報告資料も増加の一途をたどりました。
失敗事例:マイクロマネジメント化と現地経営陣の不満爆発
報告要求の増加とともに、日本本社からの関与は徐々にマイクロマネジメント化していきました。
ある程度の金額以上の支出には事前承認が必要になり、人事異動も本社の了解を得るプロセスが追加されるなど、現地の自主性は大きく制限されました。
この失敗事例から学ぶべき教訓は、「信頼の喪失」がいかに致命的かということです。
適切な初期設定とコミュニケーション体制の構築、そして現実的な事業計画の策定が、PMI成功の鍵を握っています。
【事例】地域別・業種別の特有課題
欧州でのM&A案件に特有の課題として、労働法の問題があります。
欧州は一般的に、労働者の権利が日本よりも強く保護されている地域です。
特に厳格な解雇規制や手厚い社会保障制度が、PMIにおける人事施策の実行を難しくしています。
欧州労働法とSick Leave問題:オランダの事例
オランダのある製造業買収案件では、駐在員が人事面の管理も担当していましたが、「Sick Leave(病気休暇)」の問題に頭を悩ませることになりました。
「オランダでは病気休暇中の従業員に対して2年間の給与保証が法的に義務付けられています。
当社では数カ月勤務した後、また病気休暇を取得するという事例が複数ありました。
Sick Leave中の解雇は基本的にできず、人件費の大きな負担となりました」と駐在員は説明します。
この駐在員は人事管理により多くの時間を割くことになり、他の業務に支障をきたすことになりました。
もちろん、労働者の権利を否定するべきではありません。
しかし、大切なのは、このような地域文化の事例があることを本社も理解し、駐在員がなにに時間を取られているのか、そのためのバックアップはどうすればよいか、など、対応方法を事前に検討、もしくは、実際に問題が起きた後は、問題に真摯に向き合い、解決に向けたサポートをしていくことが重要と考えます。
中東における政情不安と経営への影響
地政学的リスクが高い地域でのM&Aにも特有の課題があります。
ある日系消費財メーカーによる中東のコンシューマー向け製品の製造・販売会社買収の事例では、買収当時は政情が安定していたものの、その後の政権交代により経営環境が大きく変化しました。
筆者の経験の事例としては、買収後にはじまった政情不安が、コンシューマーの消費意欲の減退をもたらしました。
さらに、急激な通貨安とハイパーインフレにより、輸入原材料のコストが急騰し、価格転嫁も難しい状況となっていました。
駐在員と現地チームは協力してコスト削減や現地調達への切り替えなどの対策を講じましたが、政情不安そのものはコントロールできず、経営は不安定化。
最終的には本社として撤退も検討する事態に至りました。
この事例は、買収前のリスク評価において、財務・事業面だけでなく、政治的リスクも含めた多角的な分析が重要であることを示しています。
また、当該商品製造プロセスでの原材料が輸入や輸出依存が強ければ通貨の影響を大きく受けるため、為替感応度の分析も重要となります。
技術カーブアウト案件の依存関係リスク
特定の事業部門や技術部門を切り出して買収する「カーブアウト型M&A」には、独自の課題があります。
ある日系エンジニアリング企業によるヨーロッパの技術部門のカーブアウト買収の事例では、買収前のデューデリジェンス不足が大きな問題を引き起こしました。
技術者チームは買収できたものの、製品自体の十分な解析ができていなかったことが後々問題になったとの事例です。
特に製造のためのサプライチェーン、具体的には調達サイドは引き続き買収元の会社から仕入れが継続される契約になっていたことが問題点でした。
結果として、買収後も、買収元企業への依存度が高く、パワーバランスも買収元が強い状態が続きました。
原価率のコントロールや在庫管理が困難になり、収益性が当初の想定を大きく下回ることになりました。
技術だけでなく、それを支える調達や生産の仕組み全体を理解し、買収後の実行可能性を検証することが重要であることを示唆した事例といえます。
特にカーブアウト案件では、切り離す部分と残る部分の依存関係を詳細に分析する必要があります。
事例から導く効果的なPMI戦略
これらの事例から導かれる最初の教訓は、駐在員の役割を現実的かつ明確に定義することの重要性です。
「1人駐在員」の事例が示すように、過度な業務負担は効果的なPMIの大きな障害となります。
駐在員の適切な役割定義と支援体制
効果的なアプローチとしては、以下のような方策が考えられます:
- 1. 役割の明確化と優先順位付け
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駐在員が担うべき最重要機能を特定し、それに集中できる環境を整える。
特に重要なのは「本社と現地をつなぐコミュニケーション機能」であり、他の専門機能は支援体制を構築する。 - 2. バーチャルチームの活用
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物理的な駐在は1名でも、本社の各機能部門(財務、人事、法務など)から担当者を指名し、定期的なコミュニケーションを確保する「バーチャルPMIチーム」を構築する。
- 3. 短期出張者の戦略的活用
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特定の課題に対応するため、本社から専門家を短期間派遣する仕組みを整え、駐在員の負担を軽減する。
ある電子部品メーカーの成功事例では、駐在員は経営管理と本社窓口に特化し、経理・財務機能、人事・法務は現地の専門家と顧問契約による外注化を行い、必要に応じて本社の方針を伝える形で運用しました。
外注化のポイントとして、雇用に内在するリスクから隔離できることがあげられます。
例えば、経理・財務であれば、雇用のためには、候補者を探し、給与や待遇を決める必要があり、前述の人に関するリスクがでてきますし、実際に雇用するまでは能力がわからない、というのが本音だと思います。
とある事例では、英語対応可能との前提で雇用したものの、ふたを開けると英語対応が困難、ということもありました。
ただ、簡単に雇用関係を終了することはできません。
一方で、外部委託であれば、品質が要求水準に達しなければ委託業者を切り替えることができますし、また、委託業者を選ぶため、特定の人、というリスクを隔離することができます。
ただ、担当者が頻繁に変わると、その都度、説明が必要となるなど、デメリットもあります。
地域特性を考慮した統合アプローチ
「欧州労働法」や「中東の政情不安」の事例が示すように、地域特性を無視した画一的なPMI手法は失敗のリスクが高いです。
効果的なPMIのためには、地域特性を十分に考慮したアプローチが不可欠です。
具体的には以下のような戦略が有効です:
- 1. 現地専門家の早期関与
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法務、税務、人事など、地域特有の制度や慣行に詳しい専門家を早期から関与させ、潜在的なリスクを特定する。
- 2. 段階的統合アプローチ
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すべての領域を一度に統合するのではなく、地域特性を考慮して優先順位を付け、段階的に進める。
特に労働慣行や企業文化に関わる領域は慎重に対応する。 - 3. 適応型ガバナンスモデル
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本社の標準的なガバナンスモデルをそのまま適用するのではなく、地域特性に合わせて柔軟にカスタマイズする。
予期せぬ事態への備えと撤退戦略
「中東の政情不安」の事例が示すように、買収後に予期せぬ事態が発生することは珍しくありません。
効果的なPMIには、こうした不測の事態への備えも含まれるべきです。
具体的なアプローチとしては:
- 1. シナリオプランニング
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考えられる複数のリスクシナリオを事前に想定し、それぞれに対する対応策を検討しておく。
- 2. トリガーポイントの設定
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「この指標がこのレベルを下回ったら追加対策を講じる」など、具体的な判断基準を事前に設定しておく。
- 3. 撤退オプションの検討
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最悪の事態に備え、撤退や事業縮小のオプションも含めた「プランB」を用意しておく。
コミュニケーション体制の最適化
「予算管理の成功例と失敗例」が示すように、本社と現地の効果的なコミュニケーション体制の構築はPMI成功の鍵です。
特に重要なのは以下の点です:
- 1. 適切な頻度と内容
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コミュニケーションの頻度と内容を適切に設定し、「報告のための報告」を避ける。
現地の業務に過度の負担をかけないよう配慮する。 - 2. 双方向のコミュニケーション
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単なる報告の場ではなく、課題解決や支援を提供する場としてのコミュニケーションを確立する。
- 3. 透明性と信頼関係
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情報共有の目的を明確にし、相互理解と信頼関係を構築することに注力する。
まとめ:現場の教訓を活かしたクロスボーダーM&Aの実践
これまで見てきた様々な事例から、効果的なPMIのための重要なポイントをまとめると以下のようになります:
- 1. 現実的な期待値の設定
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買収前の事業計画と予測は常に批判的に検証し、楽観的すぎる想定を避ける。
- 2. 文化的・地域的要素の重視
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財務・事業面だけでなく、文化的要素や地域特有の制度・慣行も含めた多角的な分析が不可欠。
- 3. 適切な資源配分
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PMIには十分な人的・資金的リソースを配分し、特に駐在員の役割と負担を現実的に設定する。
- 4. 柔軟性と適応力
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計画通りに進まないことを前提に、状況変化に応じた柔軟な対応ができる体制を整える。
駐在員制度の再設計
これらの教訓を踏まえ、クロスボーダーM&Aにおける駐在員制度を再設計する必要があります。
特に重要なのは、駐在員は本社に歩み寄り、本社は駐在員に歩み寄る、という双方向のコミュニケーションと考えます。
具体的には:
- 1. 役割の明確化と限定
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駐在員に過度な期待をかけず、最も価値を生み出せる役割に集中させる。
- 2. 適切な支援体制の構築
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本社の各機能部門との連携を強化し、駐在員が「1人で戦う」状況を避ける。
- 3. 権限と責任の明確化
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駐在員の決裁権限や報告義務を明確にし、必要に応じて柔軟に調整する。
- 4. 適材適所の人選
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技術や業務知識だけでなく、異文化コミュニケーション能力やリーダーシップを備えた人材を選定する。
- 5. 時差の考慮
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駐在員の時差を考慮したMTG設定。もちろん緊急対応は仕方ありませんが、日常的に、深夜や早朝の、日本との定期MTGは、駐在員にとってかなりの負担となります。
クロスボーダーM&Aの成功は、買収時の条件や契約だけで決まるのではなく、その後のPMIの質に大きく依存します。
そして、そのPMIの実行において、駐在員の役割は極めて重要です。
本稿で紹介した現場からの教訓が、より効果的なPMI実践の一助となれば幸いです。
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