【クロスボーダーM&A】関税リスクを見抜く財務DDの実務ポイント

2025年、ニデック社において関税申告に関する不適切会計の疑惑が報じられました。この事案は、これまで財務デューデリジェンス(財務DD)においてあまりフォーカスされてこなかった「関税の会計処理」という論点に、改めてスポットライトを当てる契機となりました。
関税は、輸入取引を行う企業にとって重要なコスト要素である一方、その会計処理の適切性については、従来の財務DDでは十分に検証されてこなかった領域です。特にクロスボーダーM&Aにおいて、対象会社が複数国から商品を輸入している場合、関税の取扱いは複雑化し、誤りや不正のリスクが高まります。
さらに、2025年以降のトランプ関税の復活により、関税環境は大きく変化しています。関税率の急激な変更や、原産地規則の厳格化により、これまで適切に処理されていた関税申告でも、環境変化により「意図せず間違える」可能性が高まっています。
こうした背景から、クロスボーダーM&Aにおける財務DDでは、関税リスクを独立した検証項目として位置づけ、専門的な視点から評価することが求められています。
1. はじめに:なぜ今、関税の会計処理が注目されているのか
ニデック社の不適切会計疑惑の概要
2025年、ニデック社において関税申告に関する不適切会計の疑惑が報じられ、市場に大きな衝撃を与えました。これまでの財務スキャンダルでは、売上の架空計上や費用の隠蔽などが主要な論点でしたが、今回の事案は「関税の会計処理」という、比較的注目されてこなかった領域にスポットライトを当てることとなりました。
トランプ関税復活による関税環境の変化
2025年以降、米国におけるトランプ関税の復活により、関税環境は大きく変化しています。関税率の急激な変更、原産地規則の厳格化、そして予測困難な政策変更により、企業の関税管理の難易度は著しく上昇しました。
これまで適切に処理されていた関税申告でも、環境変化により「意図せず間違える」可能性が高まっています。特に、複数国からの輸入を行うグローバル企業にとって、各国の関税制度の変更に迅速に対応することは、大きな課題となっています。
クロスボーダーM&Aにおける関税リスクの重要性
クロスボーダーM&Aにおいて、対象会社が複数国から商品を輸入している場合、関税の取扱いは極めて複雑化します。各国の関税制度、貿易協定、原産地規則などが異なるため、一つの誤りが財務諸表に重大な影響を及ぼす可能性があります。
しかし、従来の財務DDでは、関税リスクは十分に検証されてきませんでした。売上や費用の分析、資産負債の評価などに比べて、関税の会計処理は専門性が高く、一般的なDD手続きでは見落とされがちな領域だったためです。
今後、クロスボーダーM&Aにおける財務DDでは、関税リスクを独立した検証項目として位置づけ、専門的な視点から評価することが不可欠となります。
2. 関税の会計処理の基本:財務諸表への影響を理解する
関税とは何か:基本的な定義
関税とは、商品が国境を越えて輸入される際に課される税金です。各国政府は、自国産業の保護、税収の確保、貿易政策の実現などの目的で関税を課しています。
関税額は通常、以下の要素によって決定されます:
- 商品の分類(HSコード:Harmonized System Code)
- 関税評価額(通常は取引価格ベース)
- 適用される関税率
- 原産地(貿易協定の適用可否)
企業にとって、関税は商品調達コストの一部を構成し、競争力や収益性に直接影響を与える重要な要素です。
損益計算書(PL)への影響:売上原価への計上
会計上、関税は商品の仕入原価に含めて計上されるため、損益計算書上では売上原価の一部を構成します。具体的には、商品を輸入した時点で、商品本体価格に関税額を加算した金額を仕入高として計上します。
計上例
商品本体価格:1,000,000円
関税額:100,000円
→ 仕入高:1,100,000円として計上
この処理により、関税は直接的に売上総利益(粗利)に影響を与えます。関税率が上昇すれば売上原価が増加し、粗利率が低下します。逆に、貿易協定の活用などにより関税率を引き下げることができれば、粗利率の改善につながります。
貸借対照表(BS)への影響:棚卸資産への含め方
関税は在庫の取得原価に含まれるため、期末時点で販売されていない商品については、貸借対照表上の棚卸資産(在庫)に関税額が含まれた状態で計上されます。
在庫評価例
前述の例で、1,100,000円(商品本体1,000,000円+関税100,000円)で仕入れた商品が期末まで販売されなかった場合:
→ 貸借対照表上、1,100,000円の在庫として計上
つまり、関税の誤りは、在庫残高の誤りに直結します。関税を過少に計上していれば在庫が過少評価され、過大に計上していれば在庫が過大評価されることになります。
関税が財務諸表に与えるインパクト
関税が財務諸表に与えるインパクトの大きさは、企業のビジネスモデルによって異なります。特に以下のような企業では、関税の影響が顕著です:
- 輸入商社・卸売業:売上原価の大部分が輸入商品で構成されるため、関税が粗利率に直接影響
- 製造業(部品輸入):原材料や部品を輸入する場合、製造原価に関税が含まれる
- 小売業:海外から商品を仕入れる場合、販売価格設定と収益性に関税が影響
【図表1:関税の財務諸表への影響フロー】
輸入取引発生
↓
関税支払
↓
損益計算書(PL)
売上原価(仕入高)として計上
→ 売上総利益に影響
貸借対照表(BS)
棚卸資産(在庫)に含めて計上
→ 資産額に影響
なぜ増減分析・回転期間分析では捉えきれないのか
従来の財務DDでは、売上原価率の推移分析や、在庫回転期間の分析などの数値分析が中心でした。しかし、関税の誤りは、こうした傾向分析では発見が困難です。
数値分析の限界
関税の誤りが傾向分析で発見されにくい主な理由は以下の通りです:
- 特定品目への限定:関税の誤りは特定の品目や取引先に限定される場合が多く、全体の数値としては異常値として現れにくい
- 金額的重要性の分散:個々の誤りは比較的小さくても、累積すると重要な金額になる可能性がある
- 長期にわたる誤り:同じ誤りが数年間継続している場合、前年比較では変動が見られない
具体例
HSコード(商品分類コード)の誤りにより、本来10%の関税率が適用されるべき商品に5%が適用されていた場合を考えます。
この商品が全体の仕入の10%を占めているとすると、売上原価への影響は全体の0.5%(10% × 5%関税率差)にすぎません。この程度の差異は、為替変動や商品ミックスの変化などに埋もれてしまい、売上原価率の分析だけでは発見することは困難です。
質的検証の必要性
したがって、関税の検証には、数値分析だけでなく、以下のような質的なアプローチが不可欠となります:
- 個別取引のサンプリングと根拠資料の確認
- 関税計算プロセスの理解と評価
- 会社の関税管理体制(内部統制)の評価
- 過去の税関調査や指摘事項の確認
これらのアプローチにより、数値だけでは見えてこない関税リスクを発見することが可能になります。
3. 財務DDにおける関税検証の実務アプローチ
関税リスクを適切に評価するためには、以下の3つの視点からの検証が必要です。各アプローチは相互に補完的であり、総合的な評価を通じて、対象会社の関税リスクの全体像を把握することができます。
PLベースの検証:売上原価に含まれる関税の確認
まず、損益計算書の売上原価に含まれる関税について、サンプルをピックアップして検証します。この検証の目的は、日々の取引における関税の計上が適切に行われているかを確認することです。
サンプリングの基準
効率的かつ効果的な検証を行うため、以下の基準でサンプルを選定します:
- 金額的重要性:輸入金額の大きい取引先や品目を優先的に選定
- 品目の多様性:異なるHSコード(商品分類)の品目を幅広く選定
- 取引先の多様性:複数国からの輸入がある場合、主要な仕入先国をカバー
- リスクの高い取引:関税率が高い品目、貿易協定の適用がある品目など
確認すべき根拠資料
選定したサンプルについて、以下の書類を入手し、関税計算の妥当性を確認します:
- インボイス(商業送り状):商品の取引価格を確認
- 通関書類(輸入申告書):実際に申告された関税額を確認
- HSコード分類表:商品の分類が適切かを確認
- 関税計算書:関税評価額の算定根拠を確認
- 原産地証明書:貿易協定の適用がある場合
検証のポイント
書類を確認する際の主要なチェックポイントは以下の通りです:
- HSコードの分類が正しいか(誤分類により関税率が変わる可能性)
- 関税評価額の算定が適切か(取引価格に加算すべき費用が含まれているか)
- 適用関税率が正しいか(一般税率か特恵税率か)
- 通関書類と会計記帳が一致しているか
検証の具体例
ある電子部品の輸入取引について、以下を確認します:
- インボイス価格:$10,000
- 運賃・保険料:$500(関税評価額に含める必要あり)
- HSコード:8542.32(集積回路)
- 適用関税率:0%(日本の場合、多くの電子部品は無税)
- 通関書類に記載された関税額:0円
- 会計帳簿への計上額:10,500ドル相当の円貨(為替換算後)
この例では、関税は発生していませんが、運賃・保険料が適切に仕入原価に含まれているかを確認します。
BSベースの検証:在庫残高に含まれる関税の確認
次に、貸借対照表の在庫残高について、同様のサンプリング検証を実施します。期末在庫の評価が適切かを確認することが目的です。
在庫サンプリングの特徴
在庫の検証では、以下の点に留意してサンプルを選定します:
- 高額在庫:在庫金額が大きい品目を優先
- 長期滞留在庫:保管期間が長い在庫(評価減の可能性も考慮)
- 期末近くの仕入:決算期末近くに輸入された商品
在庫評価の確認ポイント
在庫の取得原価に関税が適切に含まれているかを確認します:
- 期中の仕入時に適用した関税の計上方法が、期末在庫評価でも一貫して適用されているか
- 在庫管理システムと会計システムのデータが一致しているか
- 関税を含めた取得原価の計算が正しいか
【図表2:関税DDの3つの検証レイヤー】
| 検証レイヤー | 内容 | 評価 |
|---|---|---|
| レイヤー1:数値分析 |
• 売上原価率の推移分析 • 在庫回転期間の分析 • 同業他社との比較 |
限界:関税の誤りは傾向として現れにくい |
| レイヤー2:サンプリング検証 |
PL検証:売上原価に含まれる関税の根拠確認 BS検証:在庫に含まれる関税の妥当性確認 • 個別取引レベルでの書類確認 |
重要:具体的な誤りを発見できる |
| レイヤー3:内部統制評価 |
• 組織体制の確認 • 業務プロセスの評価 • 専門性とリソースの評価 |
本質:全社的な関税管理能力の見極め |
内部統制の評価:関税管理体制の確認ポイント
サンプリング検証だけでは、全体のリスクを把握することはできません。そこで重要になるのが、会社の関税管理体制、すなわち内部統制の評価です。
内部統制の評価により、サンプリングで発見された問題が個別事象なのか、それとも組織全体の体制不備に起因する構造的な問題なのかを判断することができます。
組織体制の確認
関税業務を適切に遂行するための組織体制が整っているかを評価します:
- 責任者の明確化:関税業務の責任者は明確に定められているか
- 部門間連携:購買部門、物流部門、経理部門の連携は機能しているか
- 通関業者との連携:外部の通関業者との定期的なコミュニケーションがあるか
- 情報共有:関税に関する情報が適切に経営陣に報告されているか
業務プロセスの評価
関税申告と会計記帳のプロセスが適切に設計・運用されているかを確認します:
- HSコード分類プロセス:新規品目のHSコード分類について、専門家のレビューや承認フローが確立されているか
- 関税計算プロセス:関税評価額の算定方法が明文化され、一貫して適用されているか
- 照合プロセス:通関書類と会計帳簿の定期的な照合が行われているか
- 是正措置:誤りが発見された際の是正手順が文書化され、実際に機能しているか
- 変更管理:関税率や貿易協定の変更に対応する手順が整備されているか
専門性とリソースの評価
関税業務を適切に遂行するための専門知識とリソースが確保されているかを評価します:
- 担当者の専門性:関税実務担当者は十分な専門知識を有しているか、定期的な研修を受けているか
- 外部専門家の活用:複雑な案件や新規事業について、税関コンサルタントなどの外部専門家に相談する体制があるか
- システム対応:関税計算や記帳を支援するシステムが導入されているか
- 法規制への対応:関税法規の変更を継続的にモニタリングし、対応する体制があるか
【図表3:関税管理の内部統制チェックポイント】
【組織体制】
- ☐ 関税業務の責任者が明確に定められている
- ☐ 通関業者との定期的なコミュニケーションがある
- ☐ 貿易実務部門と経理部門の連携がある
- ☐ 関税情報が経営陣に適切に報告されている
【業務プロセス】
- ☐ HSコード分類の承認フローが確立されている
- ☐ 関税申告書と会計帳簿の定期的な照合がある
- ☐ 誤り発見時の是正手順が文書化されている
- ☐ 関税率変更への対応手順が整備されている
【専門性とリソース】
- ☐ 関税実務担当者が専門研修を受けている
- ☐ 外部専門家への相談体制がある
- ☐ 関税法規変更の情報収集体制がある
- ☐ 関税計算を支援するシステムが導入されている
日系企業への示唆
クロスボーダーM&Aを検討する日系企業にとって、関税リスクの見落としは、買収後の想定外コスト発生や、場合によっては税関当局からの指摘・追徴課税といった重大な問題につながります。
買収前の対応
財務DDの段階から、関税を独立した検証項目として位置づけることが重要です:
- 専門家の起用:必要に応じて関税の専門家(税関コンサルタント)をDDチームに加える
- 十分な時間の確保:関税の検証には専門的な書類レビューが必要なため、スケジュールに余裕を持つ
- リスクの定量化:発見された問題について、財務的影響額を試算し、買収価格交渉に反映
- 表明保証条項:売買契約において、関税申告の適正性についての表明保証を求める
買収後の対応
買収完了後も、関税管理体制の整備を優先課題として取り組むことが重要です:
- 早期の実態把握:買収後100日以内に、関税管理の実態を詳細に把握
- 体制の強化:必要に応じて、日本本社からの支援や外部専門家の継続的な活用を検討
- 予防的アプローチ:過去の誤りを是正するだけでなく、将来の誤りを防止する体制を構築
- 定期的なモニタリング:四半期ごとなど、定期的に関税の状況をレビュー
特に注意が必要なケース
以下のような対象会社の場合、より慎重な関税検証が求められます:
- 製造業で複数国からの原材料・部品輸入を行っている
- トランプ関税の影響を大きく受ける業種(自動車、電子機器、鉄鋼など)
- 過去に税関調査を受けたことがある、または関税の誤りを指摘されたことがある
- 急速に事業拡大しており、関税管理体制が追いついていない可能性がある
- 複雑なサプライチェーンを持ち、原産地規則の適用が難しい
これらのケースでは、標準的なDD手続きに加えて、より詳細な関税リスクの評価を実施することが推奨されます。
まとめ
ニデック社の事案やトランプ関税の復活により、関税の会計処理は今まで以上に重要な論点となっています。クロスボーダーM&Aにおける財務DDでは、以下の3つのアプローチを組み合わせた総合的な関税リスク評価が不可欠です。
- PLベースの検証:売上原価に含まれる関税の根拠資料を確認
- BSベースの検証:在庫残高に含まれる関税の妥当性を評価
- 内部統制の評価:組織体制、業務プロセス、専門性を総合的に評価
従来の数値分析だけでは捉えきれない関税リスクを、これらの質的アプローチによって発見することが可能になります。
日系企業がクロスボーダーM&Aを成功させるためには、買収前のDD段階から関税を独立した検証項目として位置づけ、必要に応じて専門家を起用することが重要です。また、買収後も継続的に関税管理体制を強化し、予防的なアプローチを取ることで、将来的なリスクを最小化することができます。
関税は「見えにくいリスク」ですが、その影響は決して小さくありません。適切な検証と体制構築により、このリスクをコントロールすることが、M&A成功の鍵となります。
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